「福音派クリスチャン」の台頭

プロテスタント諸教派の一部で生じた自由主義神学がエスカレートしていった結果、三位一体やキリストの復活といった「キリスト教の基本信条」に対する懐疑主義的な姿勢や、聖書の権威や絶対性、無謬性を必ずしも肯定しない神学的思想が広まっていった。それに対し、従来からの「伝統的なキリスト教信仰」に原点回帰し、宗教改革者らの掲げた理想を守り続けようとする保守的な対抗勢力が沸き起こっていった。そして、そうした勢力を一般に福音派のクリスチャンと呼ぶ事を前回説明した。


やがて19世紀中頃に福音派のクリスチャン達はイギリスで福音同盟を組織し、福音主義9カ条を掲げて自らの信仰的立ち位置を明確にした。その中心部分のひとつが聖書の絶対性と無謬性の再確認である。


福音派の教会およびクリスチャンの特徴を一言で言うと、徹底的な聖書信仰主義または主義者であると言えるだろう。福音派のクリスチャン達は聖書の無謬性を信じており、自由主義神学に立つクリスチャン達を「リベラル」と呼んで自分達と区別する。リベラルなクリスチャンの中にはマリアの処女懐胎やキリストの復活を寓話として信じない者もいるが、福音派のクリスチャンはそれらの聖書記事を「歴史的事実」であると信じて疑わない。


福音派のクリスチャンにとって聖書とは、一語一句が神の霊感によって書かれた完全で誤りのない書物である。これを聖書の逐語霊感説と呼ぶが、福音派のクリスチャンは聖書に書かれてあることはすべからく「事実」であり、誤りなき神の言葉であると絶対的に信じている。よって、福音派のクリスチャンは進化論を完全に否定する。


時々アメリカの保守的な地域で公立学校の教師が生徒達に進化論を教えようとして反対される事があるのをご存じの方も多いであろう。そうした反対運動を推進している当事者達こそ斯様なアメリカの福音派のクリスチャン達なのである。


また、日本の公立学校の卒業式等において日の丸掲揚と君が代斉唱に反対して絶対に起立しない人達がいるのもご存じであろう。こうした人々の少なくない人達が日本の福音派のクリスチャン達なのである。


このように、プロテスタント諸教派は19世紀に興った自由主義神学によってほとんど二分されてしまった。そして、この両者による対立は、現在も世界中で、当然ながら我が国日本においても、未だに続いているのである。(続く)



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