対立と分断を産んだ「自由主義神学」

プロテスタント諸教会をほとんど二分する神学的大問題と言うべき自由主義神学とは、一体どのようなものなのだろうか?


16世紀に起こったルターによる宗教改革で改革者達が掲げたプロテストのスローガンは反教会権威主義と聖書信仰への原点回帰であった。有名な「信仰のみ」「聖書のみ」「万人司祭」である。カトリック教会が持つとされた権威ではなく、聖書信仰に立ち返ろうというスローガンである。そしてこれは後に続くプロテスタント教派の主たる共通教義となった。プロテスタント教会はその後多くの教派へと分かれて行くが、「聖書信仰」こそはプロテスタントの共通の錦の御旗であった。


しかし、18世紀中ごろよりプロテスタント諸教派の一部に「合理主義」の思想が芽生えてきた。これは、当時の哲学的思想と神学的思想が交錯して生まれてきた思想らしい。


やがて19世紀に入ると、考古学や歴史学を含めた科学の進歩・発達の影響もあり、合理主義をさらに進めた神学的思想が芽生えてきた。特にドイツのリッチェル、ハルナックといった思想家・神学者が歴史批評学、聖書批評学的見地から自由主義神学の礎を築いてゆく。


話が少々難しくなってきたが、自由主義神学とは要するに、聖書に書かれている記事そのものの信憑性や妥当性を、19世紀頃から生まれ始めた聖書批評学等の高等批評的見地から検証する思想をベースにしている。例えば、自由主義神学では創世記の天地創造やノアの箱舟の記事を歴史的事実とは見なさず、寓話と見なす。よって、思想的結論として進化論を否定しない。


また、聖書の一語一句を「神の言葉」とする伝統的なプロテスタントの聖書信仰にも完全には立たない。聖書に書かれた一語一句を「神の言葉」とし、完全に誤りなきとする思想を聖書無謬説と呼ぶが、自由主義神学に立つ人達はこの聖書無謬説も信じない。


自由主義神学はその後さらにエスカレートして、キリスト教の基本信条とされる三位一体やキリストの復活、マリアの処女懐胎に対しても批評的検証を行うようになり、一部の過激な人々においてはそうした伝統的なプロテスタントの基本信条そのものにも懐疑的な思想を抱くようになる。当然、「伝統的なプロテスタント」の人々とは激しく対立することになる。


この、言うなれば「行き過ぎた自由主義神学」に対し、伝統的な聖書信仰をもって正当とする人々がこぞって蜂起し、自らの神学的立場の表明と、自由主義神学に反発する行動を起こすのは当然と言えば当然であろう。自由主義神学に反発し、伝統的なプロテスタント信仰に立とうとするそうした人々のことを、総じて「福音派」または「原理主義的」プロテスタントと呼ぶ。(続く)



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