「結婚式教会」は「教会」ではない

キリストの教会とはキリストを主と信仰告白する人たちが集まる物理的な空間でありコミュニティである。それゆえ、結婚式を執り行うためにだけつくられた「結婚式教会」および「そこに集まる人々の集団」とは、本質的な意味において教会であるとは言えない。


なお、前に別のコラムでいわゆるニセ牧師問題について書いたが、この問題もニセ牧師問題に通じる問題であると思われる。そのコラムでは牧師の定義または資格要件について考察したが、「結婚式教会」で式を挙げるカップルが「ニセ牧師」によって司式されてしまうとなると、これはもう、ほとんど茶番というか喜劇の域に及んでしまうような気がする。はっきり言うと、デタラメの場所でデタラメの人物によって行われる「キリスト教風結婚式ごっこ」になってしまうとも危惧される。


そこで、私はそのコラムでこれから結婚式を挙げようと言うカップルには、司式を予定している牧師や神父の素性を事前に確認した方がいいとアドバイスさせていただいたのだが、ここでもあらためて同様のアドバイスをさせていただく。キリストの神の前に永遠の愛を誓うのであれば、やはりきちんとしたキリスト教の教職者に司式してもらった方がいい。


では、きちんとした教職者が司式するのであれば、「結婚式教会」で式を挙げても問題ないのかと問われれば、私は別に問題ないのではないかと答える。理由は、キリスト教においては結婚は神と人との前に誓約する一つの信仰的行事であり、きちんと条件を整えればどこで挙げようと特に問題はないと考えられるからだ。少なくとも、私が知る限り、聖書とりわけ新約聖書には、結婚式を具体的にどこで挙げろという記述はない。


ということで、「結婚式教会」という名のちゃんとしていない教会について考察をしてきたが、この問題を考えるには、最終的にはキリスト教という信仰そのものについての神学的考察が必要になってしまうと改めて思わされた。まあ、「結婚式教会」で結婚式を挙げるカップルのほとんどは、そんなことなどはまったく気にしていないのであろうが。



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