跋扈する「ニセ牧師」
前にネットで調べ物をしていたら、旧民主党のツルネン・マルテイ元参議院議員のホームページでニセ牧師問題が取り上げられているのを目にした。ニセ牧師問題とは、結婚式場等のチャペルで結婚式を司る牧師がニセモノであるとされる問題だが、過去に週刊文春はこの問題を取り上げ、「結婚式を司る『牧師』の90%はニセモノである」と報道したそうだ。なお、ニセ牧師は特に「外人牧師」に多く、ほとんどが英会話学校等で講師業をする中、副業として牧師業を行っているらしい。
ニセ牧師急増の背景には、挙式を上げるカップルの需要があるのは間違いない。ブライダル関連の仕事をしている知人にも話を聞いたことがあるが、少なからぬ数のカップルが「青い目をした外人牧師」を希望するそうだ。そして、そうした需要に対応すべく、専門の業者が「青い目の外人牧師」を聖歌隊やオルガニストとセットにして「派遣」しているとのことだ。
まあ、そもそも日本のキリスト教風結婚式は基本的な意味においてキリスト教的ではないから、別にそれを司る牧師がニセモノでも問題ないのではないかと思ったりしたが、一方で、キリスト教という宗教を正しく伝えるという観点からは、簡単に放置しておけない問題であると思ったりもした。そこで自分なりに「本物の牧師」とは何なのかと考えてみたが、これが実際には簡単には答えられない問いであると改めて実感してしまった。
本物の「牧師」とは?
まず、牧師とは、いうまでもなくプロテスタントのキリスト教会を牧する教職者だが、牧師の定義はプロテスタント各教派によって微妙に異なる。ただ、「一般的なプロテスタントのキリスト教会」においては、牧師とは按手礼を受領し、聖礼典を執行し、教会に集まった信徒を牧する者と言って問題ないであろう。ただし、ここでの問題は「一般的なプロテスタントのキリスト教会」とは何か、ということになろう。
これも難しい問題だが、「一般的なプロテスタントのキリスト教会」とは、三位一体の神を信仰し、使徒信条・ニケア信条を告白する信仰告白共同体であると言って差支えないと思われる。逆にいうと、これを告白していない「キリスト教会」はキリスト教会ではないと言えるであろう。
となると、「本物の牧師」とは、三位一体の神を信仰し、使徒信条・ニケア信条を告白する信仰告白共同体を牧する者で、かつ、按手礼を受領し、聖礼典を執行する者であると言えることになろう。
ただし、例えば自らをキリスト教の信徒であるとし、かつ兄弟姉妹を牧する「単立教会の牧師」であると主張された場合、それを否定するのは難しいとも思われる。さらに、自分は「無教会」のキリスト者で、迷える羊を適時「牧している」と主張されても、それを否定するのは困難であると思われる。しかし、「牧師」がどのように主張するにせよ、最終的には牧される側の信徒が牧師であるかを決めるとすれば問題は決着するとも思われる。牧される側が「あの人は牧師ではない」としてしまえば、本人がどう主張しようが、牧師ではなくなってしまうからだ。
結局のところ、ニセ牧師問題とは、結婚式だけキリスト教風に行いたいという日本人の現実的なニーズに対応するかたちで沸き起こってきた実際上の問題なのであろう。ある調査によると、結婚式を予定しているカップルの70%がキリスト教式の結婚式を希望しているそうだが、日本のプロテスタント人口は、我が国総人口の0.3%程度しかいないのだ。
また、そもそも土日曜日に結婚式を挙げるカップルが多い中、牧師が一週間でもっとも忙しい土日に結婚式を司るのは困難なはずだ。特にキリスト教の聖日である日曜日に結婚式場でバイトできる「牧師」は、まず間違いなくニセモノであると言っていいであろう。ニセ牧師でもそれなりの雰囲気が味わえれば別に気にしないというカップルはいいとしても、「本物のキリスト教の牧師」に結婚式を司って欲しいと思っているカップルへは、ニセ牧師には注意した方がいいとアドバイスする。牧師が本物かどうか怪しいと思ったら、単刀直入に所属教会や役職などを質問して確認した方がいい。キリスト教の神の前で永遠の愛を誓うのであれば、やはりちゃんとした人に司式してもらった方が、色々な意味においていいと私は思うのだ。