我が国のベンチャーキャピタルの投資姿勢

大分前にコラムの読者の一人から、我が国のベンチャーキャピタルの、シード期のベンチャー企業に対する投資姿勢についての質問を頂戴した。この質問、他の多くの経営者の関心をそそるものであると判断、概要をご紹介したい。


質問の主は、今まさに資金調達中のベンチャー企業の経営者であった。事業の内容についてはご紹介できないが、当方の見たところ事業性は多分に面白く、また、今後の展開次第によっては、大いに化ける可能性を秘めたものであると思われた。
事業の骨子はほぼ完成し、経営陣も充実、事業計画は実現可能性が高いように見受けられた。しかし、当方の質問者への回答は、現在の我が国ではシード期のベンチャー企業に対して投資を行うベンチャーキャピタルはほとんどないという、非常につれないものであった。


シード期のベンチャー企業とは、具体的な事業が開始されていないか、事業開始から間もないベンチャー企業である。まさに計画段階にあるので、ベンチャーキャピタルが投資しようにも投資判断の基準がどこにも存在しない。ベンチャーキャピタルが投資を判断する際には、簿価純資産価値やPERといった何らかの数値基準が必要であり、それが存在していない時点では、企業を評価しようにも評価できないのである。
言うなれば、仮にその時点において投資を行うとしても、それはアイデアや、何らかの知的所有権のようなものなどをを評価し、早い段階で「賭け」にでるということに過ぎない。
そして、そのような「賭け」は、我が国のベンチャーキャピタルは絶対にしない。我が国で「賭け」を行っているのはあくまでも個人の投資家で、ベンチャーキャピタルが組織として「賭け」を行うという合理的な意志決定をしない限り、シードベンチャーには決して投資しない。


一方、アメリカにおいては、シードベンチャーへの投資は比較的一般的に行われている。これは、ベンチャー投資およびベンチャーキャピタルのカルチャーに日米間の違いがあることに原因している。
ベンチャーキャピタルの運営上の仕組みは、特に投資事業組合方式においては、我が国はアメリカのファンド型ベンチャーキャピタルをロールモデルとしている。つまり、ファンドを構成するにあたり、出資を行うリミテッドパートナーと投資を行うジェネラルパートナーという役割分担を行うことを基本とする。そして、リミテッドパートナー、我が国では有限責任組合員と呼ぶが、は、あくまでも出資を行うことが役割で、運営上または結果の責任については、出資の範囲を超越して責任を問われない。
また、ジェネラルパートナー、我が国では無限責任組合員と呼ぶが、は、ファンドの運営上または結果の責任については、文字通り無限に責任を負う。この役割分担を行うことにより、投資の意志決定の迅速性を確保し、責任の所在を明確にし、かつ、資金流通の透明性を確保しているのである。


そして、我が国のベンチャーキャピタルのほとんどは、リミテッドパートナーに機関投資家を選ぶ傾向にあり、しかも、複数の機関投資家を選ぶ傾向にある。このあたり、高度成長期の上場企業における株主の分散化戦略や株式の相互持ち合い戦略に極めて類似しているが、特に銀行系のベンチャーキャピタルにおいて顕著である。
そして、機関投資家の出資する資金とは、これも一般の個人や法人から集めたお金であり、恐ろしく分散している。
つまり、我が国のベンチャーキャピタルとは、あたかも銀行が個人や法人の預金を集めて間接的に借主に貸し付けを行っているのと同様、不特定多数の投資家特に機関投資家からお金を集め、彼らを代行するかたちでベンチャー企業に対して投資しているのである。このような構造のもとでは、シードベンチャーに投資するという「賭け」がなされることは絶対にあり得ない。


言うなれば、我が国のベンチャーキャピタルとは、機関投資家というリミテッドパートナーの投資における「門番」である。しかも、その「門番」は、自ら客を見つけに行くこともあるが、基本は客がやってくるのを待っているタイプの門番である。そして、客を門内に入れるにあたり、決算書や預金通帳等の有無をチェックし、その数字を厳しく確認した上で、ようやく門内に入れるのである。(続く)



日本のベンチャーキャピタルはシードベンチャーには絶対に投資しない②
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