「信仰告白」という言葉
「信仰告白」という言葉をご存知であろうか。信仰告白とは、文字通り自分の信仰を公(パブリック)に告白することを言う。キリスト教では、この信仰告白を非常に大事にする。クリスチャンとして教会で列したいと希望する人は通常、既存の教会員の前で信仰告白をして、教会員に受け入れられねばならない。
では、この信仰告白とは一体どのような内容なのだろうか。まず考えられる最もシンプルな信仰告白は、
「私は神を信じる」
である。神を信じない人が信仰告白をすることはあり得ない。
続いて問題となるのは、「いかなる神を信じるか?」だ。前に、キリスト教の神とは一神教の神で、それ以外を神としないということを説明したが、キリスト教の神を信じると告白するということは、この唯一の神を信じるということだ。よって、「私は商売の神様を信じます」とか、「私は酒の神様バッカスを信じます」とか、「私は八百万の神様を信じます」という信仰告白では、キリスト教では受け入れられない。
ここで、キリスト教の神とはいかなる神かという問題が浮上してくるのであるが、ここから話は少しややこしくなってくる。これは、キリスト教とはいかなる宗教か、何の条件を満たせばキリスト教と認められるのかという神学的なアジェンダを含む話になって来るからだ。
前に別のコラムで、一部の自称キリスト教徒は、「伝統的なキリスト教徒」と神の解釈が大いに相違しており、カトリックや主要プロテスタント会派からキリスト教徒として認められていないという事を書いた。この、神学的解釈ないし定義が「キリスト教」の教派によって相違しているため、信仰告白とりわけ共同体としての教会の信仰告白も相違している。
つまり、あなたがある教会の会衆の前で信仰告白を行ったとしても、それを受取る教会によっては解釈や受け止め方が相応に違ってくる可能性があるのだ。(続く)
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