教会によって違う「什一献金」の教義

什一献金についての調べを進める中、私はクリスチャンのための掲示板で、あるキリスト教カルト問題研究者が立ち上げた「1/10献金は誰のため?」というコンテンツを見つけた。


詳しくはそのコンテンツを見ていただきたいが、結論を言うと、今日のクリスチャンに什一献金を求める聖書的根拠はない。什一献金を強要する教会が主張する聖書的根拠の多くはマラキ書に代表される旧約聖書に遡るが、基本的な誤謬として、什一献金を強要する教会ないし牧師が、旧約の律法の一部を否定し、一部を是認するという点がある。
つまり、旧約の律法のうち、例えば食事に関する律法については否定し、献金に関する律法については是認している。冷静に考えるとおかしな話なのだが、これが、一部のキリスト教会においては、至極当然の話としてまかり通っている。


そして、その「旧約の律法の一部を否定し、一部特に献金に関する律法を是認しているキリスト教会」の多くが、「福音派」「ペンテコステ派」「ホーリネス派」「単立」というカテゴリーに属している教会である。


「キリスト教会」と言ったところで、特に日本のプロテスタント教会(「自称プロテスタント教会」を含む)の場合、十把一絡げにして論ずることはできない。否、そのように論ずることは非常に危険である。日本人は総じてキリスト教の知識がなく、十字架が掲げられていれば軒並み同じような教会であろうとイメージしがちだ。しかし、私から警告させていただくと、それは大変な間違いであって、すべてのプロテスタント教会が同じということはない。


もしあなたが洗礼を受けてクリスチャンとして生きていくという選択をするのであれば、どこの教会で洗礼を受け、どこの教会員として生きてゆくのかということが非常に重大な問題になる。特に、献金という経済上の問題を巡っては、この什一献金の問題が必ずつきまとってくる。よって、あなたがクリスチャンになってどこかの教会に属すというのであれば、事前にその種の事情に詳しい人に相談し、さらにその教会が什一献金を求める教会であるのか確認することを切におすすめする。


その上で、あなたが什一献金に納得してその教会を支えてゆくという決断をするのであれば、その決断の通りに教会を支えてゆけばいい。しかし、事情がよくわからないままに洗礼をうけ、その後に牧師から「什一献金はクリスチャンの義務ですよ」などと言われることになるのであれば、それはそれで非常に大きな問題だと思う。


なお、これは意見が分かれると思うが、私はキリスト教になじみのない普通の日本人には、什一献金を強要する教会で洗礼を受けることをおすすめしない。なぜなら、この種の教会は、什一献金を強要するとともに、君が代斉唱拒否や日の丸敬礼拒否、そして葬儀での焼香拒否といった「教義」を強要するところが多く、普段の日本人的な生活に支障をきたすことになる可能性が高いからだ。(続く)



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