「什一献金」はクリスチャンの義務なのか?

私は、前に別のコラムで、収入の十分の一を教会に奉げるいわゆる「什一献金」をクリスチャンの義務であると書いたことがある。しかし、思うところがあって再びこの問題について考え、改めて検証してみた結果、什一献金はクリスチャンの義務ではないというあらたな結論に達した。今回のコラムでは、そのことについて書いてみたい。


私は、通っていた教会の牧師が什一献金はクリスチャンの義務であると教えていたから素直にそれを信じ、受け入れていた。収入の十分の一を教会に奉げるよう努力し、そして必ずしもそれを全うできない自分に非常な負い目を感じていた。「他の教会員は什一献金を徹底しているのだろうな、えらいな」とある種のコンプレックスも抱えていた。ところが、ある事件をきっかけに、什一献金が本当にクリスチャンの義務なのか、キリスト教的なのかということに疑問を抱き、改めて調べて見ることにした。


まず、私は自分が通っていた教会とは別の教会の教職者に什一献金についてたずねてみた。その教会は近所にある某大手キリスト教団の教会で、もともと古くからあるメソジスト教会だが、その教会の牧師にこの件についてたずねてみた。牧師は、教会員に献金について特に指導していることはないと返答された。やがて検証を進めるうちにわかってきたことは、古くからあるメインラインのプロテスタント教会では、什一献金を教会員に課しているところはほとんどないという事実だった。


続いて私はツイッターでフォローしていたカトリック大阪教区の某神父に同じ質問をしてみた。その結果、カトリック教会でも上と同様、信徒に什一献金を促していることはないという回答を得た。これも後に得た情報だが、カトリック教会は献金には非常におおらかで、各信徒はそれぞれ思うままに献金を教会に奉げているということもわかった。


さらに調べると、聖公会でも什一献金を信徒に強要していないということもわかってきた。メインラインのプロテスタント教会、カトリック教会、そして聖公会といったキリスト教の大御所とも呼ぶべき教会がすべからく什一献金を教義として採用していないのならば、それを採用している教会の方がマイノリティなのではないか。ついに私はそのような疑念を抱いた。
そして調べを進めるうちに、どうも什一献金を教義に掲げている教会のほとんどは福音派の教会か、ホーリネス系の教会か、ペンテコステ系の教会か、あるいは単立の教会であるらしいということがわかってきた。そして、私が通っていた教会も、まさに福音派の教会だったのである。(続く)



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